日本拳法とは
澤山宗家が生み出した日本拳法とは、防具(面・胴・股当その他)とグローブを着用し、打撃技、投技、寝技を駆使して勝敗を競い合う武道であり、日拳(にっけん)と略されて親しまれています。武道・格闘技・スポーツの側面を持った日本拳法。日本拳法の特徴・魅力、創始歴史など日本拳法全般についてご紹介します。
日本拳法の概要と特徴
日本拳法は、素手の格技である。その技術構成は、拳の突打、足の蹴りなどの博技(うちわざ)と、組みついた場合の投技、関節の逆技などの諸技とを総合したものである。人間の最も本来的な格闘技術である。
その特徴は、突打蹴の博技に対して、創案の防具を着装して、安全に、かつ自由に撃ち合って稽古をすることである。この稽古法を乱(らん)稽古といって、練技の主流とし、また、この様式によって、いままでできなかった試合を可能にした。
道としての日本拳法
拳法の本来は、いうまでもなく武道である。だが、同時に、スポーツとしてその快味を楽しむこともできるし、また、体育として心身を陶冶することもできる。これは、その受け取り方によって、できてくる相違である。だがしかし、拳法自体は元来一つのものであって、その受け取り方のいかんによって、変わるものではない。これは、修業者がよく銘記せねばならないことである。
自由組手の出現は、いままでの拳の技法を一変させた。
しかし、なんといっても、互いに空撃の撃ち合いでは、不十分なところがあり、それなりの欠陥もできてくる。本当に充実した修練成果を収めるには、さらに一歩進んで防具装着による稽古をせねばならない。われわれ自身の手による試作品は実験を繰り返し、できあがった手製の防具見本として、街の専門店へ回し製作されることになったのである。それからは、防具を着装して思う存分、力一杯の突打蹴をもって撃ち合い、組みついては投技・寝技にも転じ、徒手格技の総合的な稽古をすることとなったのである。
もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。
澤山宗海著「日本拳法」より
「日本拳法」の歴史
日本拳法の誕生
東洋には、古くから諸派の拳法が伝わっている。いずれもみな長い道統を有するが形(型)の拳法である。だが、私が昭和7年に創始したこの日本拳法は乱(らん)の拳法であった。防具を創案し、それを着装して、お互いに自由に撃ち合って、拳の法を修めるものである。
初めてこの世に生まれた乱の拳法には、もとより師家もなければ、道統もなかった。われわれの修行と研究は、いわば、人跡未踏の大陸を探求するようなものであった。
防具草案
従来の形(型)稽古から自由な撃ち合い稽古へ
拳の格技は、組打ちの格技とちがって、修技者の両名が、相対して互いに自由に技を戦わせて稽古することは、きわめて危険である。
これがため、拳の格技の稽古法は、古くから補助的な独り稽古をしたり、また修技者同志が形(型)の形式で稽古してきたものであった。もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。
実際に役立つ、実法を修練するには、どうしても自由に撃ち合う稽古をする必要がある。そこで私は、自由な撃ち合い稽古を工夫考案したのである。もちろん防具のないときのことであるから、互いに拳足を相手の体に当てないように、その寸前で止める空撃をもって、撃ち合いをすることにしたのである。そこで、まず、約束組手、自由組手、真剣組手の三つの稽古法を創ったのである。
防具の創案と乱稽古の誕生
自由組手の出現は、いままでの拳の技法を一変させた。しかし、なんといっても、互いに空撃の撃ち合いでは、不十分なところがあり、それなりの欠陥もできてくる。
本当に充実した修練成果を収めるには、さらに一歩進んで防具装着による稽古をせねばならない。
われわれ自身の手による試作品は実験を繰り返し、できあがった手製の防具見本として、街の専門店へ回し製作されることになったのである。それからは、防具を着装して思う存分、力一杯の突打蹴をもって撃ち合い、組みついては投技・寝技にも転じ、徒手格技の総合的な稽古をすることとなったのである。
もちろん、独り稽古も形(型)稽古も、拳法の修行には必要、かつ大事なことではあるが、ただ、これ一辺倒の修練をしていると、いろいろな欠陥や弊害を生じてくるものである。
澤山宗海著「日本拳法」より
- 明治三十九年(1906)十二月十二日奈良で生まれる。本名・勝(まさる)。
- 大正八年(1919)に偕行社小学校尋常科を卒業し日新商業へ進む。
- 同十五(1926)年関西大学予科に入学。昭和四(1929)年法文学部法律学科に進学。
- 在学中から柔道、古武道、空手等の練習に励み、本学を卒業した七年秋(1932)には大日本拳法会を結成して会長となる。
- 十五年二月(1940)応召により出征し、中国南部を転戦。
- 二十一年五月(1946)復員。二十二年(1947)頃から日本拳法会の再建整備にとりかかり、二十八年(1953)に初の東京公開演武を行う。
- 二十九年(1954)母校 関西大学 に採用され正課体育日本拳法の講師となる。
- これを機に宗家を号し、三十九年十二月(1964)著書『日本拳法』を出版。
- 四十二年(1967)、大阪薫英女子短大教授。
- 五十年九月(1975)病に倒れ、以後療養につとめたが、昭和五十二年九月二十七日没した。七十歳(1977)。
「今は愛妻の千代子様と共に、兵庫県村岡町の法雲寺墓地に静かに眠られています」
澤山宗海著「日本拳法」より
一般社団法人 日本拳法競技連盟
日本拳法競技連盟では、日本拳法の全国競技・大会の審判団派遣など競技全般の事業を行っています。
また、日本スポーツ協会主催の安全講習や指導員講習会などのアナウンスは、こちらに御座います。
全国各地の道場の情報一覧が掲載され検索抽出ができます。
道場をお探しのかたは日本拳法競技連盟「お近くの道場を探す」のページをご覧ください。
一般財団法人 日本拳法全国連盟
日本拳法全国連盟では、日本拳法の段級資格認定、指導者・審判の技術講習などを行っています。
その他に 日本拳法関連の物販・書庫販売も取り扱っております。
日本拳法の「形」のコンテンツは、こちらに御座います。
日本拳法の「形」に、ご興味のある方は日本拳法全国連盟「形」のページをご覧ください。
公益財団法人 日本拳法会
日本拳法会は、日本拳法 の宗家である 澤山宗海 先生が、創設された日本拳法の発祥となる団体です。
日本拳法の日本拳法の誕生の歴史・理念などの基本情報を知りたいかたは、こちらをご覧ください。